共働きママのストレスフリーなLifeStyle

34歳の共働きのワーキングマザーが仕事と育児を両立するまでの記録

3度の飯より仕事が好きなキャリアウーマンが 母になって子育てを楽しみすぎているストーリー

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①生まれてから幼稚園まで


とにかくやんちゃでどろんこ遊びが大好き。
近所に男の子兄弟が住んでいて、
一緒にコオロギをとって、間違えてコオロギを潰してしまって
ああ、コオロギを殺してしまった、夢に出てくる、、、と青ざめたり、

 


珍しく買ってくれた白いワンピースで泥遊びをして、泥だらけになって
両親を青ざめさせたり、暗くなるまでずーっと外で遊んでました。

②小学生時代


とにかく座っていられない子。
小学校あがるる前は、暗くなるまで外を走り回っていたのに、いきなり椅子に座っていないといけない生活。
休み時間は短くてチャイムがなったら教室に戻らないといけない生活に慣れない。
授業参観では、前を向かず、ずっと両親の方を向いてニヤニヤ。
家に帰って母に恥ずかしくて死にそうだったと泣かれました。
暗くなっても家に帰らないため、親が心配で探し回ることも。
暗くなる前に家に帰ろうね、と母に念を押されても、
遊びだすと、時間がどのくらい過ぎているかわからなくなってしまい、
あっという間に時間が過ぎている自覚があったので、
目をそらして首を横にひねって約束から逃げたり。母、絶望。
窓際のトットちゃんを読んで、あ、これ私だ、と思っていた。

③中学生時代


黄金期。部活命。入学直後のテストでガリ勉くんを差し置いて学年一位をとり、
学校の先生に一目置かれるようになり、
いろんなことを学校でやりやすくなる。

「大人って結果を出してれば、何も言わないんだー、
表面だけを見て判断して、ちょろいなー」

と思うようになる。

授業に集中しない、髪型を派手にして、怖い女の先輩に呼び出されたり
先生や先輩に口答えしたり、上下関係や権威というものに反抗するようになる。
今思えば中二病を発症していたと思う。
学校生活は部活中心で、幼稚園から続けていた器械体操に熱中して、
学校の授業は5・4・3・2・1と部活へのカウントダウンだった。

④高校生時代


熱中するものが特になく、
憧れだった、バスケ部のマネージャー、部活の合宿
友達同士でカラオケいく、彼氏と一緒に自転車で駅まで帰る
学校帰りにパフェを食べる、などを一通りこなす。
初めての彼氏と食べたパフェは300円くらいだったけど、
緊張しすぎて味を覚えていないけど、やたら生クリームが多くて甘かった。
自転車で二人のりして田んぼを進むだけで、胸の奥がキュンキュンしていた。

⑤大学生時代


大学は第一志望に受からず、地元の女子大に入る。
思い描いていた大学生活ではなくて、
何か変えたい!と思って、学内の交換留学制度に応募をする。
英文学科の子は英語力がないと交換留学でいけないのだけれど、
私は美術の学科だったため英語力は問われず、実験枠のような形で滑り込んで
シアトルに留学。
交換留学先は語学留学中心で何か変えたくて1年間の区切りできているのに
日本人が多いから英語を話さないでも毎日を過ごせてしまうし
このままでは、ただ毎日が過ぎて、ただ体型がアメリカサイズになるばかりでやばい、、
と一念発起して、今の日本人たちのコミュニティから離れよう!と
転校先とホームステイ先を探して転校。

ホームステイ先は妊娠中のお母さんが、切迫早産で横になっていないといけない家庭で
上の子(3歳)の面倒を見てくれるヒトがほしいということ。
日中は上の子のお世話をして、夜は学校に行く生活にになる。
お庭に家をつくったり、家の中でハッスルして遊んだり、
絵本を読んだり日本のご飯を作ったりした。
子供相手に絵本を読むと、発音悪いとリピートさせられたり、
その子が母親に嘘をついて、私が悪者にされても
弁明できる英語力がなく、悔しくて、英語頑張ろう、という気持ちになれたのは良かったと思う。

⑥社会人時代


就職氷河期で就職活動は辛かったけど
目の前のおじさんの質問の意図を汲んで答えを考える、という面接がゲームみたいで
結構楽しめて70社くらい訪問。
就活ハイだったのか、ある日突然電車で倒れて駅員さんのお世話になったり、
就活に熱中しすぎて当時4年ほど付き合っていた彼氏に振られたりもしました

就職するにはベンチャーのほうが自分に合っていると思ったけど
両親が「大学までいって、きちんとした会社に正社員で就職して」というので
固い会社の内定取ってからベンチャーに入社しようと思って受けた
地元の銀行に最初は入社。

分厚いマニュアルですべて管理されていて
あらゆる業務をするのにマニュアルを調べる毎日に、

「あー、私は何をやっているんだろう・・今まで頑張ってきた人生はここで終わって
あとはこのまま毎日が過ぎ去っていくつまらない人生が何十年も待っているのか・・」

と絶望的になり、銀行で息ができないようになって、伝票処理の手が止まる毎日。

このままでは、人生がつまらなくなりすぎる、と焦るエネルギーに押されて
銀行帰りに東京まで転職活動しに通う中で、転職先に出会い上京。
そこから3社ほど、ベンチャーワーカホリックに仲間と事業内容を世に広めることに邁進。
始発・終電で仕事をして、飲みに行くのが楽しく、
ワインボトルが1本2000円切るコスパの良いお店を探して
友達と飲み歩いてボトルを空けることにやりがいを見出す。

結婚願望がなく、家事をしたり、妻という役割をやれるイメージが持てず、
毎日自分の好きな時間に起きて、好きなだけ仕事に熱中して、友達と飲み歩く毎日が
楽しくて二日酔いも楽しかった。

でも、なぜか「結婚」や「出産」という体験をしてみたくなってきて
そのタイミングで運良く、家事が得意な現在の夫と出会う。
夫は仕事をしていれば家のことはシェアすれば良いんじゃない?という考えの人で
(その分働かざるもの食うべからずと子供にも言うほど、働くことを重視するけど)
自分の目指す生活と近かったので結婚することになる。

自分があまりに手のかかる子供だったため、
自分みたいな落ち着きのない頑固な子を相手にできるイメージがなく、
出産が怖かったけど、35歳目前に急いで第一子を設ける。
子供のいる生活は今までの自由気ままで自分の好きなことに全力投球できる毎日を捨て去る、
煩悩のないい出家の世界みたいなものだろうなと思ったけど、
親から続いている命のバトンをつなぐという義務だけは全うして死のうと覚悟を決めて妊娠・出産。

⑦ブログを始めた経緯について


自分の好きなことや楽しいことをすべて諦めて
自分が主役ではない人生を生きる聖母のような母親にはなれないので、
自分が主役の楽しい人生をそのままに
夫婦の楽しさ、家族の楽しさが追加できたら、人生3倍楽しいよな、と思い、
そのための情報やノウハウを集めながら
めんどくさがりでもできる、子供を大切にしつつ、
自分と夫婦が仲良くのびのびいられる家族つくりに日々奮闘している中で、
この7月から仕事復帰が決まり、仕事と育児の両立をするにあたり
奮闘や葛藤でもだえ苦しむと思うので、
その苦しみがただ過ぎ去っていくのではなく、
今後の誰かの役にたてば・・・と思いブログをはじめることにしました。